最高裁判所大法廷 昭和42年(オ)1466号 判決 1970年7月15日
上告人
古荘猛
右代理人
山村治郎吉
柳原熊次郎
被上告人
丹後織物石川有限会社
右代表者
土肥精之助
右代理人
加嶋五郎
加嶋昭男
加藤俊徳
右復代理人
谷合光昭
主文
原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
本件を京都地方裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人山村治郎吉、同柳原熊次郎の上告理由について。
記録によれば、本件訴訟は、被上告会社の出資持分六四〇口を有する社員であつた上告人の先代古荘伊助が、被上告会社に対しその資本の一〇分の一以上に当たる出資持分を有する社員としての資格に基づいて、同会社の解散を請求し、かつ、被上告会社の社員たる資格に基づいて、昭和三三年八月四日開催の臨時社員総会における原判決別紙目録記載第一ないし第一八の各決議の取消と、予備的にそのうちの第三ないし第一五の各決議の無効の確認を求める訴として提起されたものであるが、本件訴訟が第一審に係属中、昭和三六年一二月九日、右古荘伊助は死亡し、その相続人である上告人古荘猛、訴外古荘えつ、同古荘久、同古荘哲および同原田敏子が同三七年一月三〇日遺産分割に関する協議を行ない、伊助の遺産中被上告会社に対する出資持分六四〇口全部を上告人に取得させる旨定めた。そこで、上告人は前記亡古荘伊助が被上告会社の社員として有した同会社に対する会社解散請求権、社員総会決議取消請求権、同無効確認請求権を相続により承継取得した旨主張し、本件訴訟における古荘伊助の原告たる地位を承継したものとして本訴を追行するものであるところ、第一審は、有限会社における社員の会社解散請求権、社員総会決議の取消および無効確認請求権は、会社の利益を擁護するために社員に与えられたいわゆる共益権であり、財産的内容をもつ権利ではなく、社員の一身に専属する権利であることを理由に、このような権利に基づく訴訟において、その係属中に訴訟を提起した社員が死亡したときは、その相続人において訴訟を承継することができず、訴訟は当然終了するものと解するを相当とするとして、亡古荘伊助の提起した本訴は同人の死亡により終了したものである旨判断した。右第一審判決に対して上告人より控訴したが、原審も、右第一審判決とほぼ同様の見解のもとに、本訴は右伊助の死亡により終了した旨判断し、上告人の控訴を棄却したものである。
よつて按ずるに、有限会社における社員の持分は、株式会社における株式と同様、社員たる資格において会社に対して有する法律上の地位(いわゆる社員権)を意味し、社員は、かかる社員たる地位に基づいて、会社に対し利益配当請求権(有限会社法四四条)、残余財産分配請求権(同法七三条)などのいわゆる自益権と本件におけるような会社解散請求権(同法七一条ノ二)、社員総会決議取消請求権(同法四一条、商法二四七条)、同無効確認請求権(有限会社法四一条、商法二五二条)などのいわゆる共益権とを有するのであるが、会社の営利法人たる性質にかんがみれば、これらの権利は、自益権たると共益権たるとを問わず、いずれも直接間接社員自身の経済的利益のために与えられ、その利益のために行使しうべきものと解さなければならない。このことは、社員が直接会社から財産的利益を受けることを内容とする自益権については疑いがないが、社員が会社の経営に関与し、不当な経営を防止しまたはこれにつき救済を求めることを内容とする共益権についても、異なるところはない。けだし、共益権も、帰するところ、自益権の価値の実現を保障するために認められたものにほかならないのであつて、その権利の性質上権利行使の結果が直接会社および社員の利益に影響を及ぼすためその行使につき一定の制約が存することは看過しがたいにしても、本来それが社員自身の利益のために与えられたものであることは否定することができないからである。そして、このような共益権の性質に照らせば、それは自益権と密接不可分の関係において全体として社員の法律上の地位としての持分に包含され、したがつて、持分の移転が認められる以上(有限会社法一九条)、共益権もまたこれによつて移転するものと解するのが相当であり、共益権をもつて社員の一身専属的な権利であるとし、譲渡または相続の対象となりえないと解するいわれはないのである。
以上説示したところによれば、本件における会社解散請求権、社員総会決議取消請求権、同無効確認請求権のごときも、持分の譲渡または相続により譲受人または相続人に移転するものと認められる。その理は、本件におけるように、社員が社員たる資格に基づいて会社解散の訴、社員総会決議の取消または無効確認の訴を提起したのち持分の譲渡または相続が行なわれた場合においても、異なるところはない。
ところで、社員が右のような訴を提起したのちその持分を譲渡した場合には、譲受人は会社解散請求権、社員総会決議取消請求権および同無効確認請求権のごときは取得するけれども、譲渡人の訴訟上における原告たる地位までも承継するものとはいえない。これに反して、相続の場合においては、相続人は被相続人の法律上の地位を包括的に承継するのであるから、持分の取得により社員たる地位にともなう前記のごとき諸権利はもとより、被相続人の提起した訴訟の原告たる地位をも承継し、その訴訟手続を受け継ぐこととなるのである。もし、原告たる被相続人の死亡により同人の提起した訴訟が当然に終了するものとするならば、本件の社員総会決議取消の訴におけるように提訴期間の定め(有限会社法四一条、商法二四八条一項)がある場合において、被相続人の死亡当時すでにその提訴期間を経過しているときは、相続人は新たに訴を提起することができず、原告たる被相続人の死亡なる偶然の事情により、社員がすでに着手していれ社員総会決議のかしの是正の途が閉ざされるという不合理な結果となるのを免れないのである。
してみれば、本件訴訟については、原告たる古荘伊助の死亡により、同人の有した被上告会社の持分の全部を相続により取得した上告人において原告たる地位をも当然に承継したものというべきであり、右伊助の死亡により本件訴訟が終了したものとすることはできない。それゆえ、これと異なる見解のもとに、右伊助の死亡により本件訴訟が終了したものであるとした原審ならびに第一審の見解は、有限会社法ならびに民訴法の解釈を誤るものであり、この点に関する論旨は理由がある。したがつて、原判決は破棄を免れず、第一審判決を取り消し、さらに本案について審理させるため、本件を第一審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八八条により、裁判官松田二郎、同岩田誠の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
裁判官松田二郎の反対意見は、次のとおりである。
多数意見は、有限会社の社員の有する会社解散請求権、社員総会決議取消請求権、同無効確認請求権のごとき共益権が、いずれも譲渡性および相続性を有するものであると解し、これに反する見解を採る原判決を破棄すべきものと主張する。しかし、私はそのような多数意見に賛成できないのである。
(一) 多数意見はいう、「会社の営利法人たる性質にかんがみれば、……自益権たると共益権たるとを問わず、いずれも直接間接社員自身の経済的利益のために与えられ、その利益のために行使しうべきものと解さなければならない」と。そして、共益権について、特に次のように説明する。曰く、「共益権も、帰するところ、自益権の価値の実現を保障するために認められたものにほかならないのであつて、その権利の性質上権利行使の結果が直接会社および社員の利益に影響を及ぼすためその行使につき一定の制約が存することは看過しがたいにしても、本来それが社員自身の利益のために与えられたものであることは否定することができない」と。私も、また、営利法人たる有限会社において、その社員の有する共益権が「権利」たる以上、それは社員の利益のために与えられたものであり、社員が自己の利益のためにこれを行使できるのは、当然であると考える、そして、そのことは単に会社の社員の有する権利のみに限らず、苟も「権利」である以上、公権たるとを問わず、権利一般について認められるところであるといい得よう。しかし、そのことは、権利が権利者の利益のためにのみ与えられたものであるとのことを意味するものでなく、また、権利者が自己の利益のためにのみこれを行使しうべきものであるとのことを意味するものでもない。そして、有限会社は営利法人であるけれども、会社自体が独立の団体として社員とは異なる別個の社会的存在であるからには、社員がその有する共益権を自己の利益のため行使しうるにしても、その行使は有限会社なる団体自体の利益ならびに社会的存在としての当該会社に対する社会の利益によつて制約を蒙ることを看過してはならないのである。
しかるに、多数意見は、有限会社の社員の有する共益権が「社員自身の経済的利益のために与えられたもの」であり、「その利益のために行使しうべきもの」との前提に立ち、忽ちこれを根拠として、次の結論へと急ぐのである。「このような共益権の性質に照らせば、それは自益権と密接不可分の関係において全体として社員の法律上の地位としての持分に包含され、したがつて、持分の移転が認められる以上(有限会社法一九条)、共益権もまたこれによつて移転するものと解するのが相当であり、共益権をもつて社員の一身専属的な原告であるとし、譲渡または相続の対象となりえないと解するいわれはないのである」と。要するに、これが多数意見の理論的根拠といえよう。
(二) 思うに、共益権、自益権という社団内部における社員の権利の二大別はドイツ法上の学説に渕源する以上、叙上の問題を取扱うにあたつては、勢い、われわれはドイツ法に遡らざるを得ないし、若干これに触れざるを得ないのである。そして、わが国においては、社団の内部における社員の権利の分類としては、殆んど共益権、自益権の名称のみが用いられているが、ドイツ法上ではきわめて多くの名称が存在する。すなわち、共益権と自益権との二分類の外、たとえば、社員の有する権利の分類として支配権と財産権、共同管理権と財産権、管理権と債権、機関権と価値権、人身権的内容の権利と財産権的内容の権利とするがごときがこれである。しかし、その名称にニュアンスの差があるにかかわらず、議決権は前者のグループの代表であり、利益配当請求権は後者のグループの典型的のものなのである。そして、これらの相対立する名称よりしても、社団において社員の有する権利中に、財産権的のものと然らざるものとの性質の相異る二つのグループの存在することが窺われるのである。
今、本件を見るに、問題の中心は、有限会社の社員の有する共益権の性質に関するのであるから、まず、この点を考察することとする。ただ、寡聞な私は、わが国において特に有限会社の社員の権利につき論じたものを知らないのである。しかし、ドイツ法上においては、有限会社についての文献が少なくない。そして、有限会社の社員の有する共益権のうち、その代表ともいうべき議決権について次の主張をみる。すなわち、これを以て社員の有する権利(Mitgliedsrecht)であり、会社支配権(gesellschaftliches Herrschaftsrecht)であるとし、その譲渡性を否定するとともに、社員はそれを濫用すべからずとし、殊に故意に会社の明白な損害になるようこれを行使し、または利己的の自己の意思を会社に対して押しつけることはなすべからずとするのである(Baumbach-Hueck, GmbH-Gesetz,(1970)§47, Anm. 3 A u. B)。この見解は、前記の社員の権利の分類につき、支配権と財産権の対立を認めるものと解される。そして、議決権がそのような性質を有するからには、本件で問題となつている会社解散請求権、社員総会決議取消請求権ならびに同無効確認請求権も共益権に属する以上、これらに議決権と同様の性質、ことにその非譲渡性を認めるべきこととなろう。そして、有限会社の共益権についてこのように解することは、ドイツ法の学説上、株式会社における総会決議取消権について、その譲渡性が否定され、ことにこの権利が譲渡し得る財産権でないと説明されていることに照応する。わが国の判例が、株式会社について株主の有する会社設立無効請求権―それは共益権である―について、「その訴提起後原告たる株主がその資格を失つたときは、無効を主張する権利も亦これを失うに至るものとす」(大審院昭和八年一〇月二六日判決、民集一二巻二三号二六二六頁)としたのも、株主の有する共益権が譲渡性を有しないことを示すものである。
そして、右のように有限会社の社員の有する共益権について譲渡性が否定されたならば、その「持分譲渡」といつても、共益権の譲渡は行われず、したがつて、譲渡の対象になるものは専ら自益権のみに関することとなろう。換言すれば、持分譲渡とは、財産権たる自益権の譲渡を意味することとなろう。
このように考え来るとき、多数意見の見解、すなわち、「それ(共益権を指す)は自益権と密接不可分の関係において全体として社員の法律上の地位としての持分に包含される」との見解は、維持し難いものとなるのである〔因みに、多数意見は、「有限会社における社員の持分は、株式会社における株式と同様、社員が社員たる資格において会社に対して有する法律上の地位(いわゆる社員権)を意味する」という以上、私も株式について―卑見についての詳論を省くが―若干論及する必要を覚える。そして、叙上に述べたところに照せば、株式会社において株主の有する共益権も譲渡性を欠き、株式譲渡というとき、その対象となるのは自益権のみとなる。したがつて、株式のうちには共益権は含まれることなく、株式とは株主の有する権利のうち自益権のみに関することとなろう。そして、商法自体がこのことを暗示しているのである。たとえば、数種の株式とは、優先株や後配株のごとき利益若しくは利息の配当や残余財産の分配などの財産権的内容において差異のある株式を指すのであつて(商法二二二条)、「議決権ある株式」と「議決権なき株式」とは、数種の株式の関係に立つものとされていないのである。このことは、株式が利益配当請求権などの自益権に関することを示すものなのである。議決権なき株式(商法二四二条)も、株式が議決権と必然的関係のないことを示すものといえよう。法制史的にみるとき、最初の株式会社と考えられている一七世紀初頭のオランダの東印度会社においては、株主はただ配当を請求する権利と出資の返還を請求する権利のみを有するに止まり、議決権を有していなかつたのである。それ故、株式は純然たる財産権的性質のものとされていた。なお、比較法的に見るに、フランス法上、株式は債権的に解されている〕。
しかるに、多数意見は、自益権と共益権とが不可分的の関係にあるものとし、持分移転に当り、共益権も移転するものとし、すなわち、共益権の譲渡性と相続性を肯定するのである。そして、私権を財産権と非財産権に大別するものとすれば、多数意見は、有限会社の社員の有する共益権につき明言こそしてはいないが、その譲渡性と相続性とを肯定する以上、これを財産権と解するものといい得よう。
しかし、有限会社の社員の有する会社解散請求権、社員総会決議取消請求権ならびに社員総会決議無効確認請求権が譲渡性および相続性を有する財産権に属するものとするときは、次のような不合理を生じよう。
(1) 多数意見は、右のごとき共益権が相続の対象たり得るとする以上、これらの権利が相続に関し、一身専属的の権利でないとするものである。問題となるのは、これらの共益権が債権者代位権に関して、行使専属権であるか否かである。多数意見の理論に従えば、おそらく行使専属権でないことになるものと思われる。しかし、これは、われわれの法的感覚に著しく反するものといえよう。何となれば、有限会社の社員の有する会社解散請求権や決議取消請求権は、社員その者の意思によつて行使されるべきものであり、これらの権利につき、債権者による代位行使を認めることは、全くわれわれの想像を起えるものであるからである。そして、もし、多数意見がこれらの共益権につき、債権者代位権の行使を否定されるならば、何故に共益権の譲渡性と相続性を承認しながら、債権者代位権のみを否定するのか、その理由を明らかにすべきであろう。
(2) 多数意見によるときは、有限会社の社員の質権者は社員の有する叙上の共益権を行使し得る場合を生じよう。けだし、質権者は、質権設定者の承諾があるときは、質権の目的物を使用し得るからである(民法三五〇条、二九八条二九八条二項)。したがつて、有限会社の社員の持分に対する質権者が社員の有する会社解散請求権を行使し、また、社員総会決議取消請求権を行使し得る場合を生ずることとなろう。しかし、かかることもわれわれの法的感覚に著しく反するものである。しかし、もし、多数意見が質権者によるかかる権利の行使を認めないならば、その理由を明らかにすべきであろう。けだし、多数意見の立場によるときは、質権者によるかかる権利の行使は可能となるものと思われるからである。
(3) 有限会社につき、法は「各社員ハ出資一口ニ付一個ノ議決権ヲ有ス」(有限会社法三九条本文)とするが、「定款ヲ以テ議決権ノ数ニ付別段ノ定ヲ為スコトヲ妨ゲズ」(同条但書)としている。したがつて、定款をもつて社員の有する持分の数に関係なく、各社員の議決権の数を定め、たとえば頭数による決議方法を定め得る。そして、このように、社員の議決権の数が社員の有する持分数に比例しないことを定め得るのは、議決権の数が必ずしも社員の財産的出資の多少に関しないものであつて、議決権がいわば社員としての身分に関するところがあることを示すのである。
問題となるのは、定款により右のごとき頭数による決議方法、すなわち持分数に関係なく各社員がそれぞれ一個の議決権を有する旨規定している場合、社員の一人がその有する持分の一部を社員でない者に譲渡したとき、譲渡人たる社員は、その持分の一部譲渡にもかかわらず、依然として一個の議決権を有し、譲受人も亦一個の議決権を有することとなろう。この場合におけるかかる現象に直面して、譲受人の議決権は譲渡人の議決権を譲受けたものと解するのは、きわめて困難であろう。けだし、譲受人が譲渡人の議決権を譲受けたのならば、譲渡人は議決権をもはや有し得ないはずだからである。ここにおいて、右の場合、持分の一部譲受人は、持分―それは自益権関係のみに関する―を譲受けることによつて有限会社の構成員たる身分を取得し、これに基づいて議決権を原始的に取得すると解するのがきわめて妥当であると覚える(財産権の主体が団体の構成員たる身分に基づいて議決権を有するに至ることは、社債権者が社債権者集会の構成員として議決権を有する(商法三二一条一項)ことにもあらわれている)。したがつて、多数意見によるときは、きわめて技巧的な説明を試みるならば格別、しからざる限り、この場合の説明に窮するに至るであろう。
(4) 次に、会社解散について考える。社員が会社解散につき重大な利害関係を有することは、いうまでもないのである。しかし、社員がこれにつき重大な利害関係を有するということは、決して、社員のみが利害関係を有するとのことを意味しない。会社解散は、社会的に存在する企業の消滅を惹起するものであり、これによつて、それまでにその企業の果してきた社会における活動は全部止み、本店はもちろん、支店や工場も閉鎖され、従業員は職を失うことになる。大企業、ことに世界的企業たる会社について解散の行われる場合を考えるならば、その影響の及ぶところがきわめて大なることを知り得よう。私は、この点に関し「企業自体」の主張者と称されているラテナウが、ドイツの中央銀行たるドイツ銀行などについて論じたことを興味深く覚える。すなわち、彼は、ドイツ銀行などが清算決議をすることは、私法上有効であるにしても、果してこれを是認し得るやの問題を論じているからである(Rathenau, Vom Aktienwesen, S.39 ff.)。わが国において、銀行の解散決議は、主務大臣の認可を受けるのでなければその効力を生じない(銀行法二五条)が、かくのごとく特別法により認可を必要とするものでなくても、会社解散ということは、社会的に影響するところが大なのである。そして、商法および有限会社法上、会社の解散命令につき、「公益ヲ維持スル為会社ノ存立ヲ許スベカラザルモノト認ムルトキ」との要件が存在することは(商法五八条、有限会社法四条)、解散自体が「公益」に関すること、換言すれば、単に社員の私的利益のためのものでないことを示すのである。
思うに、「企業自体」の観点より考察するとき、会社ことに株式会社や有限会社は、社会的存在として独自の利益を有する。それは社員の利益とは別個のものに属するのである。しかし、もし団体をもつて個体の単なる集合に過ぎないとの個体主義的見解に立つならば、営利団体たる株式会社や有限会社につき存する利益は、すべてこれを社員の個人的利益に還元して考えることとなろう。そして、そこにはもはや団体それ自体に独自の存在と利益を承認し得ないこととなろう。かかる見地に立つとき、社員の権利は共益権たると自益権たるとを問わず、専ら社員の利益にのみ奉仕する権利と解されよう。多数意見は、このような思想に立つものではないかとさえ解される。私は、この点に関し当裁判所の判例が商法四九四条にいう「不正の請託」の意義について述べたことを思うものである。判例はいう。「株主は個人的利益のため株式を有しているにしても、株式会社自体は株主とは異なる別個の存在として独自の利益を有するものであるから、株式会社の利益を擁護し、それが侵害されないためには、株主総会において株主による討議が公正に行なわれ、決議が公正に成立すべきことが要請されるのである」と(当裁判所昭和四二年(あ)第三〇〇三号同四四年一〇月一六日第一小法廷判決、刑集二三巻一〇号一三六一頁)。本件もまた、すべからくかかる見地に立つて判断すべきものであると考える。今や、「企業自体」ということが強調されるべき時であるにかかわらず、多数意見が社員の有する共益権につき、何等疑うことなくその譲渡性を肯定することに対して、私は、多大の疑を懐かざるを得ないのである。
(三) 私は、叙上において主として有限会社の社員の有する共益権が譲渡性を有しないことを述べた。そして、私の立場よりすれば、これらの共益権の相続性もまた否定されるべきものである。
もつとも、権利の譲渡性と相続性とは別個の問題であり、したがつて、譲渡性があつても相続性のない権利や、譲渡性がなくても相続性のある権利があり得る。しかし、概言することを許されるならば、譲渡性のない権利は、これについて別段の事情(たとえば譲渡禁止の特約のある債権は、譲渡性はなくても、相続性は認められるごとし)のない限り、その相続性も有しないのを原則としよう。したがつて、有限会社の社員の有する共益権につき叙上のごとく譲渡性が認められないものといえよう。私は、このように解するものである。しかるに、既に述べたように、多数意見は、共益権につき譲渡性と相続性の双方を肯定するのであつて、私とは正反対の見解を採るのである。しからば、一体、何故に多数意見はそのような見解を採るに至つたのであろうか。私の臆測にしてもし誤がないとしたならば、多数意見がこのような見解を採るに至つた主たる原因は、ドイツ法におけると異り、わが国においては共益権の本質、ことにその非移転性について―いわゆる社員権否認論を除けば―論ぜられることが少なく、きわめて簡単に社員の有するすべての権利について、譲渡性が肯定されていることに因るのであり、加えて、ドイツ法上、株主の総会決議取消権についてその相続性が認められていることをもその根拠としたものと思われる。しかし、既に述べたとおり、ドイツ法上、株主の有する総会決議取消権の譲渡性は否定されているのである。
しからば、何故にドイツの学説が決議取消権の譲渡性を否定しながら、その相続性を肯定しているのであろうか。この点こそ明らかにされるべきである。しかし、寡聞な私は、ドイツ法上、その理論的根拠についてこれを明らかにしたものを見ないのである。私の臆測によるならば、総会決議取消については訴提起期間の制限があるので、これを免れるための、いわば一種の便宜論にあらずやとさえ思われるのである。
多数意見は、この点に関していう。「もし原告たる被相続人の死亡により同人の提起した訴訟が当然に終了するものとするならば、本件の社員総会決議取消の訴におけるように提訴期間の定め(有限会社法四一条、商法二四八条一項)がある場合において、被相続人の死亡当時すでにその提訴期間を経過しているときは、相続人は新たに訴を提起することができず、原告たる被相続人の死亡なる偶然の事情により、社員がすでに着手していた社員総会決議のかしの是正の途が閉ざされるという不合理な結果となるのを免れないのである」と。しかし、既に述べたように、共益権の行使につき社員個人の意思を重んずべきものとし、社員の債権者もこれを代位行使することができず、また、社員の質権者もまたこれを行使し得ないものと解するならば―すなわち、一身専属権であるならば―相続に際してもこの権利は被相続人にのみ帰属し、相続より除外されるものと解するのが妥当であると思われる。けだし、決議取消請求権の行使の有無は訴を提起した社員それ自身の意思によつて決せられるべきものであるからである。私は、この点に関し、不法行為による慰藉料請求権が相続の対象となり得るかに関し、当裁判所の大法廷の多数意見がこれを肯定したことを想起する(当裁判所昭和三八年(オ)第一四〇八号同四二年一一月一日大法廷判決、民集二一巻九号二二四九頁)。しかし、これは、慰藉料請求権の一身専属権的性質を看過したものといえよう。私は、この多数意見に反対したのであつた(この大法廷の多数意見にかかわらず、不級審においてこれに反する多くの判例を見るという異例の現象は、看過し得ないところであろう)。
思うに、資本主義経済の下においては、とかく権利を財産権化する傾向を見る。かつて人格的のものであつた商号が財産権化したごときは、これである。しかし、そこには自ら限度があるべきであろう。そして、私の見地よりすれば、社員の共益権の相続性を肯定する多数意見は、慰藉料請求権の場合における多数意見と同様、一身専属的権利をば不当にも財産的権利と解する誤に陥つたものと思われる。私の解するところによれば、営利法人の社員が議決権等の共益権を「自由」に行使し得るというのは、それを財産権として自由に処分し得ることを意味するのではなく、社員その者が他よりの拘束なく自己の自由なる個人の意思によつて行使すべきことを意味するのである。多数意見は、この「自由」の意味を正解しないものといえよう。もつとも、多数意見は、共益権を財産権視し、その譲渡性と相続性を肯定した点において、一見、いかにも理論明快にして徹底しているもののごとくであるが、しかし、そのため明らかにされるべき多くの重要な問題を不問に附し、これをきわめて簡単に片付けてしまつた感すらあるのである。多数意見に従えば、将来、社員の債権者が社員に代位して会社解散請求の訴を提起し、また、社員の質権者が決議取消の訴を提起することを誘発すべく、しかもこれを否定すべき理論的根拠を有しないのである。
なお、私の解するところによれば、社員の会社解散請求権や社員総会決議取消請求権などの共益権は一身専属的権利であるため、これに基づいて提起した原告の訴は、その者の死亡によつて終了することとなるが、会社解散請求の訴のごときは、訴提起の期間がないので、原告の相続人は被相続人の死亡にもかかわらず改めてこの訴を提起するに妨げない。また、社員総会決議取消請求の訴など訴提起の期間の定めのあるものについては、法自体が数個の訴が同時に繋属することを予定しているものといえよう(有限会社法四一条、商法二四七条二項、一〇五条三項四項参照)。したがつて、数個の訴が提起されているときは、たまたま、その中の原告一人が死亡したとしても、訴訟そのものに影響はないのである。
なお、附言するに、裁判実務上、民事訴訟用印紙に関し、会社設立無効、決議取消、決議無効確認の訴が、「財産権上ノ請求ニ非サル訴訟」(民事訴訟用印紙法三条一項)として取扱われていることを一言したい。これは、これらの訴の本質が財産権上の請求でないことを直視したものと思われ、意味深く覚えるからである。
叙上の見地に立つて、私は、原審の判断を正当とし、本件上告は棄却されるべきものと考える。
裁判官岩田誠は、裁判官松田二郎の反対意見に同調する。(石田和外 入江俊郎 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 田中二郎 松田二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷)
上告代理人の上告理由
原審判決は(判決書六枚目表)「有限会社の社員に認められている会社解散請求権(有限会社法第七一条)や社員総会決議取消請求権、同無効確認請求権(同法第四一条、商法第二四七条、第二五二条)は、いずれも社団法人の社員が社員たる資格に基づいて当該社団に対して有する諸種の権利のうち、いわゆる共益権に属するものであるが、共益権は、同じく社員が社団に対して有する利益配当請求権の如きいわゆる自益権と異なり、専う社団自体の利益のためにのみ行使すべく社員に附与されたもので、財産的性質を有さず、もとより自益権から派生したものでなく社員の一身に専属する権利であるから、これを他に譲渡することができないのは勿論、相続の対象とすることもできないものと解するのが相当である」と述べ、次に(判決書七枚目表)「相続の対象となし得ないものである以上、本件訴訟は伊助の死亡と同時に終了したものであつて、控訴人が伊助の出資持分を相続し、被控訴会社の社員になつたとしても本件訴訟における伊助の地位を承継することができないことは明白である」と結論している。
これを要約すると、会社解散請求権、社員総会決議取消権、同無効確認請求権の三権は、共益権であるから相続できないというのが判決理由である。
しかし、これは法の解釈を誤つたものであつて、結局理由齟齬である。
以下、上告人はその理由を述べる。
一、元来、社員権を自益権と共益権に区別することは従来我国の学説や判例にしばしば用いられる言葉であるが、これは概念法学の盛んであつた独逸法万能の時代に用いられた言葉である、株主又は有限会社の社員となることは、会社という経済的利潤追及の社団に参加して、自らの経済的利益を求めるためである、即ち社員権は財産権である、この財産権である社員権を自益権と共益権の二つに区分して各々独立した権能の如く割切ることは根幹を忘れて枝葉しか見ない論理である、財産権の発生消滅、即ち経済現象を観察するには皮相の見解である、自益権と共益権とは一つのひゆとして、社員権の説明の便宜にはなるが、各独立した権能ではない、米国の学説ではこの区別を認めない、我国でも近時共益権と自益権との中間的性質を有する権利が増加したので、米国の学説に従う学説が現われている(註)。
(註) 田中耕太郎氏編、株式会社講座、
第二巻、服部栄三氏、株式の本質参照
いわゆる共益権と称せらるる権能も、基本たる財産権の損害を防止するための一手段であつて、財産権に含まるる一つの権能に過ぎない、ただ株主又は社員甲がこの訴訟を提起すれば、甲以外の株主、社員が反射的に(会社という社団であるため)その利益を受けるだけであつて、訴の提起者は、他の株主や社員の利益のためでなく、自己の利益のために、自ら訴訟費用を投じて訴を提起するものである。
二、決議取消等の訴提起者は、訴訟提起の時に於て株主たることを要するも、決議の当時に株主であることを要しないという学説(註)がある、これはこの種の訴訟が財産的性質を持ち、一身専属権でないことを間接に認めたものと信ずる。
(註) 大隅健一郎氏、全訂会社法論中巻六三頁
西原寛一氏、経営法学全集株主、三一七頁以下
三、株式や社員の出資持分が相続によつて承継せらるることは疑ない、即ち株主又は社員が死亡すれば相続人が当然株式や出資持分を相続する、従つて又株式や出資持分が包含している自益権も共に相続せらるることは、相続というものが包括承継である以上当然の事と云わねばならん、若し然らずとせんか、相続人は永久にいわゆる共益権を持たないという矛盾につき当るであろう、いわゆる共益権というものを切離して、これを相続できない、即ち一身専属権などと論ずるのは、社員権が元来財産権であることを忘れた遊離した論であり、地に足をつけた論ではない、物事を研究するには分析は必要であるが、分析したものを更に総合することを忘れた論であつて、かかる解釈は人生に役立たないものである。
四、次に株主は自己に対する招集手続に瑕疵がある場合のみならず他の株主に対する招集手続に瑕疵がある場合でも、例へば自分は招集通告を受けたが、他の株主に通知洩れがあつたような場合に、これを理由として訴を提起することを妨げない(大審院明治四二年三月二五日判決、民録十五輯二五〇頁、大隅健一郎氏、全訂会社法論中巻六三頁)これは一身専属権でないという一つの論拠になるであろう。
五、もし原審判決の如く、決議取消権等は一身専属権であつて、相続人がその訴訟を承継できないとすれば、相続人は新に訴を提起しなければならん、然るにその時は訴提起の期間を経過しておつて、もはや提起できないことになり、不当の決議を黙認せねばならんという不条理な結果を来たす、それを救済するためには、検察官を以て訴訟承継人とするような立法措置を講じなければならんが、そういう立法措置がないことはこの種の訴は一身専属権でないことを法律は予定しているのではなかろうか、原告の死亡という偶然の事実によつて、不当決議を取消すことができず、会社当局の非違を是正できないということは、法律制度全般から見て首肯できない。
又、相続人の保護及び団体生活の秩序保持の見地からも、相続人がその地位を承継すると見るのが適当である。
六、次に原審は、上告人が決議取消の訴に於て、予備的に主張している決議無効確認の訴も一身専属権であり訴訟は承継できないと判示しているが、会社解散請求の訴、決議取消の訴は、共に、社員たる地位に基づく訴であるが、総会決議無効確認の訴は、何人よりも、如何なる時期に於ても出来るものであり、又、決議無効は抗弁としも主張できるものである(註一、二)従つて決議無効確認の訴をも一身専属権であつて訴訟の承継はできないという判示は不当であると信ずる。
(註一) 大隅健一郎氏、全訂会社法論中巻七一頁
尚、同頁に引用してある小町谷氏、野津氏、田中誠二氏、大森氏、実方氏も同説である。
(註二) 西原寛一氏、経営法学全集、株主、三一四頁
七、本件の如き訴訟が訴提起者の死亡により消滅せず、相続人に於て承継できるという学説を左に掲げ、これを上告人の上告理由として引用する。
(1) 大隅健一郎氏の説
「原告たる株主が死亡した場合には訴訟手続の中断を生じ相続人に於てその受継をなすことを要するものと解すべきであろう(民訴二〇八条)」
大隅健一郎氏、全訂会社法論中巻六二頁
(2) 西原寛一氏の説
「株主が訴訟繋属中死亡した場合には、共益権の一身専属権を理由として訴訟関係が当然終了するとみる説もあるが(仙台高裁、昭和三十一年四月三十日判決)この権利には財産的性質も認められるばかりでなく、相続人の保護及び団体生活の秩序保持の見地からも相続人がその地位を承継するとみるのが適当である」
西原寛一氏、経営法学全集、株主、三一七頁以下
(3) 松岡誠之助氏の説
「訴訟終了前に原告たる株主が死亡しまたは合併により消滅した場合には訴訟の承継がみとめられる、前記の社員権論をとる立場でも包括承継人は原告株主の地位を承継し訴訟を受継ぐことを要する(民訴二〇八条)とする」
ジュリスト臨時増刊、会社法判例百選五一頁
以上